新薬開発の四方山話(31):脳内に潜む「ジキルとハイド」

誰もが知っている小説「ジキルとハイド」。原題を「The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde」と言います。Robert Louis Stevensonが 1800年代後半に英国で上梓しました。「二重人格」(dual personality)を題材にした小説であり、「解離性同一障害」(dissociative identity disorder)の代名詞としても使われることもあります。なお、「ハイド」は「hide」(隠す、隠れる)を掛けた単語ですよ。

標題は「そのジキルとハイドが私たちの脳の中に隠れている」ことを意味しています。「実体は一つなのに、まったく異なる姿を呈する」(the same entity but in two different manifestations)。なんとま~、空恐ろしい話ですこと。「これって本当ですか?」と自然に質問したくなりますよね~。本日は、この「問い」から始めたいと思います。ご無沙汰しています。いつもの超明るいTOBIRAの小出徹です。    英国と言えば、1990年代初頭に猛威を振るった「狂牛病」(Mad Cow Disease)。正確には「牛海綿状脳症」(Bovine Spongiform Encephalopathy、 BSE)と称します。また、人口髄膜は脳外科手術を受けた後に使用されますが、使用後に発症する「クロイツフェルト・ヤコブ病」(Creutzfeldt-Jakob Disease、 CJD)。さらに、ちょっと前にはなりますが、1970年代後半にパプアニューギニアで発症した「クル」(Kuru)。これらの疾患は認知症、運動障害、 震戦などの臨床症状を呈し「致命的な疾患」(fatal diseases)です。

これら疾患は「潜伏期間」(incubation period)こそ違いますが、原因物質は同じで「プリオン」(prions)と呼ばれているタンパク質です。核酸は含みません。Stanley B. Prusiner教授(米国UCSF大学・神経学教授)は、「プリオン」の研究で、1997年ノーベル医学生理学賞を受賞した大御所です。

「プリオン」はリンパ球や他の組織の構成成分であり、特に脳神経細胞の表面に豊富に存在しています。「プリオン・ノックアウトマウス」(prion knock-out mice)は何ら支障なく生存可能だったことから、生存に必須なタンパク質ではないと考えられています。

いままでは「正常なプリオン」(normal prion)に関して述べてきましたが、プリオン遺伝子に異常が生じますと毒性が高い「プリオン」(PrPScと略す)が生じ、これが脳に蓄積しますと神経細胞が死滅していきます。正常なプリオンをPrPcと略します。PrPScは化学的には極めて安定で、タンパク分解や有機溶媒や100 oC以上でも分解しません。「まったく異なる二つの顔」を持つ、まさに「ジキルとハイド」ですね。

PrPScは、ある個体から別の個体へと感染するタンパク質(contagious protein)です。プリオン遺伝子変異も種々であり、生成されたPrPScは、その化学構造により、脳の特異的な部位に蓄積することが知られています。私たちの脳内には、PrPScに対する内因性の防御機構はありません。したがって、治療薬を考える場合には、PrPcからPrPScへと変換する過程を阻害する作用を有する物質を狙うことになります。最後に「PrPScと脳疾患」との関連をまとめます:PrPScが大脳に蓄積するとCJD、視床に蓄積すると致死的家族性の不眠(insomnia)、脳幹に蓄積するとBSE、小脳ではKuruになります(下図参照)

コラム小出(31)図1