検査技術の発展:②モノクローナル抗体を作るハイブリドーマ技術の発明と特許―偉大な発明と失われた特許の権利―

モノクローナル抗体の発明

・1970年代当時、ハイブリドーマ技術の普及にも関わらず、診断や疾患治療におけるモノクローナル抗体の重要性に気づいた科学者や医療機関は僅かであったようです。 このハイブリドーマ技術は特異性を担保できるモノクローナル抗体を作り出す細胞融合技術であり、その抗体は診断用の測定法に革新的、かつ極めて重要な影響を与えています。今日では、免疫血清学的検査薬として一般的になったイムノアッセイ法の大半がモノクローナル抗体を使用しています。 また、その平成25年度、日本国内での市場規模は1,758億円であり、体外診断用医薬品の輸入品を含めた国内生産高の約半分を占めるほどになっています(表)。

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・英国MRC分子生物学研究所*1のミルスタインは、彼のポスドク研究員であったケーラーとともに、1975年、モノクローナル抗体の作製に必要なマウスのハイブリドーマを構築する技術を確立し、Nature*2に発表しました。周知のように、このハイブリドーマはミエローマ細胞(骨髄腫細胞)と脾臓細胞(抗体産生細胞)との融合細胞であり、クローニングによって単一抗体、即ちモノクローナル抗体を産生するパーマネント培養細胞になります。

1984年に、ミルスタインとケーラーは、この技術の発明によってノーベル医学・生理学賞を受賞しました。その受賞理由は免疫制御機構に関する理論の確立と、モノクローナル抗体の作製法の開発でした。“for theories concerning the specificity in development and control of the immune system and the discovery of the principle for production of monoclonal antibodies”.

失しなわれた特許の権利

・今日、所属する研究機関の如何にかかわらず、研究で得られた成果を特許にすることは、研究者にとって大切な責務の1つとみなされているようです。ここに挙げた英国のミルスタイン博士の場合、不運にも、このハイブリドーマ技術を特許にすることができなかったのです。1つには、検査薬開発のエポックとなったモノクローナル抗体を産生するハイブリドーマ技術を折角発明しておきながら、特許申請前に論文発表してしまったことで、その権利が失われてしまったことです。 さらに不運であったのは、ミルスタインが提供したミエローマ細胞株を用いた米国のコプロスキーが特許化したことです。次に、物議をかもした痛ましい経過(1)、(2)を紹介します。

(1)1975年1月24日夕方5時に始めたプラークアッセイは、長い退屈な時間の後に感激の発見となった。 妻と一緒に研究室に戻ったケーラーは、新しいハイブリドーマが抗体を産生しており、しかも予想外に多量となったことをこのプラークアッセイで見つけた。 そしてケーラーとミルスタインは、5月にNature*2に投稿し、8月には受理されたが、その直後、約6か月間、2人は再現できなくなって論文を取り下げようとさえ考えた。 ケーラーがMRCを去ってから、後任者がHAT培地の不完全であったことを突き止め、さらに細胞融合に用いるSendaiウイルスをPEGに代えてから再現するようになった。

・1975年の7月、MRC内部の会合でミルスタインが発表したハイブリドーマ技術は事務方の科学者によって、その技術の実用化の可能性、並びに特許化について指摘された。しかし特許責任部署のNRDC(National Research Development Corporation)スタッフが、その技術の医学的可能性と商業的価値を認識していたにもかかわらず、直ちに特許申請をせず、しかも8月のNature*2論文の発表前に、出来なかったことで、その権利は失われてしまった。

(2)ケーラーとミルスタインのハイブリドーマ技術の特許化失敗の騒動は、米国ウイスター研究所(WI;Wistar Institute)の所長コプロスキー(Hilary Koprowski)らによって、1979年10月及び1980年4月にがん及びインフルエンザウイルスのモノクローナル抗体に関する特許によって、倍加された。

・コプロスキーの特許はミルスタインがコプロスキーに供給したミエローマ細胞X63株(右下、ノート写真)*3を利用して作り出された。これらは、がんマーカーで良く知られているCA19-9モノクローナル抗体*4の抗体産生ハイブリドーマに関する技術によって取得された*5。しかも、幅広い抗体作製技術を特許化したことで、コプロスキーは、サッチャー首相など英国政界はもとより、国際科学界からも、強く非難され、抗議されていた(詳細*6)。善意で供給されたにもかかわらず、ミルスタインの許可もなく、コプロスキーが特許化したことは、科学者の道義にも、もとる行為であったと言わざるを得ない。

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ミルスタイン(César Milstein;1927.10~2002.3;74歳、心臓病で死去);

アルゼンチン生まれのユダヤ系移民で、ブエノスアイレス大学で学び、1960年に英国ケンブリッジ大学で博士号を取得した。1983年に英国のMRC分子生物学研究所のProtein & Nucleic Acid Chemistry Divisionのヘッドになり、ほぼ英国で過ごした。彼は抗体の構造と、その多様性が生じる機構解明に尽力し、免疫グロブリンV遺伝子が部分変異することで免疫的に記憶された抗原に応じた抗体が産生されることを示した。晩年には、この突然変異の機構解明に向けて、死ぬまで一週間一報のペースで論文を書き続けたそうである。

http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1984/milstein-bio.html

ケーラー(Georges J.F. Köhler;1946.4~1995.3;48歳、不幸にも研究室火災により肺炎で死去);

ドイツ人で、フライブルク大学で生物を学び、1974年同大学にて生物学博士号を取得し、 同年から1976年までMRCミルスタインのポスドクになる。その後バーゼル免疫学研究所(76~84) を経て、1984年にフライブルク大学の教授となり、1986年マックス・プランク免疫研究所の所長となった。

http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1984/kohler-bio.html

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*1;写真は英国の医学研究機構(MRC)分子生物学研究所(Medical Research CouncilLaboratory of Molecular Biology)の外観。http://www2.mrc-lmb.cam.ac.uk/groups/ajw/opportunities.html

*2;G. Köhler & C. Milstein “Continuous cultures of fused cells secreting antibody of predefined specificity”. Nature 256: 495‐7,1975.

http://www.nature.com/nature/journal/v256/n5517/abs/256495a0.htmlwww.jimmunol.org/content/174/5/2453.full.pdf

*3;ミエローマ細胞供与を記したノート(左)とコプロスキー(右);7/9/76、X63Ag8, 20ml、Hilary Koprowski at the Wistar Institute、―Philadelphia)。Record of dispatch of myeloma cells to Hilary Koprowski (Source: Milstein’s notebook, Churchill Archives Centre, Milstein Papers, file MSTN/C.282)

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注;このノート*3はミルスタインがコプロスキーにX63ミエローマ細胞株を送っていたことを示している(赤丸)。コプロスキーは、1991年、75歳のとき金の浪費など(?)でWI研を解雇され、年齢差別だとして裁判所へ訴えた。 さらに94歳になった2010年にも、Jefferson大と裁判を起こし、晩年はクレーマーの様相であった。

*4;Koprowski, H., et al、Somatic Cell Genet. Nov;5(6):957-72,1979.Koprowski, H., et al、Proc.Natl. Acad. Sci. USA 76 (3): 1438-1442,1979.

*5;論文および特許の時系列

<論文>

1975年7月ミルスタイン;MCR内部発表:ミエローマとマウスリンパ球融合細胞培養による抗体産生

1975年8月ミルスタイン、ケーラー;Nature(256,495~、1975):ヒツジ赤血球のモノクローナル抗体産生

1977年3月コプロスキ―;PNAS(74,2985~、1977):インフエンザウイルスのモノクローナル抗体産生

1979年3月コプロスキ―;PNAS(76、1438~、1979):腫瘍マーカーCA19-9のモノクローナル抗体産生

<コプロスキーの特許>

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*6;特許騒動について詳細(Patent saga);http://www.whatisbiotechnology.org/exhibitions/milstein/patents

補足

治療用としてのモノクローナル抗体

抗原免疫したマウス抗体産生細胞からクローニングで得られるモノクローナル抗体分子は、ヒトに抗原認識されることで臨床応用ができなかったが、1990年代にCHO細胞で、直接プラスミドを形質転換するヒト免疫グロブリン遺伝子を発現する方法が開発されてから、この問題が克服された。現在では、遺伝子工学の技術によって抗体の低分子化やヒト化など治療に最適な分子に改変できるようになってきている。

ハーセプチン、リツキサン(Genentech社)などの薬剤はモノクローナル抗体であり、乳がんや悪性リンパ腫に劇的な効果をもたらしている。抗TNF-α抗体であるレミケード(Centocor社)は間接リュウマチなどでの臨床価値は高く、今後、モノクローナル抗体を利用した医薬品開発への期待はますます高まってきている。