検査技術の発展:①ラジオイムノアッセイ(RIA;Radioimmunoassay)法の発明

・いつの時代でも新しい概念は、なかなか世に認められません。当時、インスリンに対する抗体はできるはずがないと考えられていたことが、RIA法の発明に繋がったので、いわゆる辛酸を舐めたことで生まれた技術だといえると思います。

・1956年、米国のヤロー(Yallow)とバーソン(Berson)はインスリンの代謝研究をしていました。 ヒトに投与した I‐131標識インスリンの代謝産物を同定するため、血漿を濾紙電気泳動して得られる分画のうち、γグロブリン分画の近傍に放射能が検出されたことで、この分画にインスリンに結合する抗体が存在することを発見しました*1。このホルモン量を調べるのに、この抗体を利用した測定法を開発し、4年後にRIA法を完成することになります*2。この1960年のRIA法発表*2の検索、JCIで最も高い2,341回引用され、さらにPubMedでのRIA法の引用回数は84,000件にも上っています。

・当時、免疫学者は分子量5,807の低分子インスリンには免疫原性がなく、その為、抗体の産生はあり得ないと考えていました。従って、ヤローがJCIに論文投稿したとき、何度もリジェクトされ*3、その論文も、表題を「インスリン輸送抗体」から「インスリン結合グロブリン」と変わることで、やっとアクセプト*1 されました。インスリンに対する抗体が存在するということを認知させるのに、かなり苦労したのです。やがて1977年にヤロー(バーソン1972年に死去)の努力は、ペプチドホルモンのRIA法発明と開発によってノーベル医学生理学賞となって実を結んだのです。

・これは、当時の技術レベルで発見した事実を直接証明することは難しく、一方で、間接的に、それを証明しようとする種々の実験過程から、RIAという新概念を生み出し、最終的には、高感度の微量ホルモン測定法として結実したのです。現在の臨床検査分野では、RIA法からアイソトープを使用しないEIA法/ELISA法やCLEIA法に置き換えられつつあるが、RIA法は主要な測定手法の1つとして、これまで検査のみでなく生化学的研究などに多大な貢献をしてきた技術でありました。

・ヤロー(1921~2011)は、比較的長寿で、89歳で死去(undisclosed causes)しました。彼女はニューヨークのハンターカレッジ(Hunter Col.)で物理学を学び、その後、イリノイ大学(Illinois U.)に入学しましたが、入学者400名中、唯一1人の女性でした。1945年にイリノイ大の物理学でPhDを取得し、極めて優秀でありながら、核物理分野での職を得ることはありませんでした。当時女性が職を得ることはとても困難であったからです。その後、ニューヨークのブロンクス退役軍人病院に職を得ることができ、バーソンに出会いました。特許を取ることはせず、RIA法を世に広めるために協力を惜しみませんでした。ヤローの「The excitement of learning separates youth from old age. As long as you’re learning, you’re not old」は訳すまでもなく、「学ぶ興奮と、続ける限り、老いることはない」は、今では認知症予防に資する名言です。

*1;J Clin. Invest.;35,170-190,1956

*2; Yallow R.S.,& Berson S.A..Immunoassay of endogenous plasma insulin in man. J Clin. Invest.39:1157-1175,1960.(http://www.jci.org/articles/view/104130

*3;J Clin Invest. 2004;114(8):1051-10(http://www.jci.org/articles/view/23316/pdf

コラム岡田2-1

<左Yallow;http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/1977/yalow-bio.html

& 右端Benson;http://www.jci.org/articles/view/23316/pdf

◆JCIに投稿論文のリジェクトされたレターの一部;1955.929

Dear Dr. Berson

I regret that the revision of your paper entitled 131-Insulin-I131 metabolism in human subjects demonstration of insulin transporting antibody in the circulation of insulin treated “subjects” is not acceptable for publication in The J of Clinical Investigation,——-The second major criticism relates to the dogmatic conclusions set forth which are not warranted by the data. The experts in this field have been particularly emphatic in rejecting your positive statement that the “conclusion that the globulin responsible for Insulin binding is an acquired antibody appears to be inescapable “. They believe that you have not demonstrated an antigen-antibody reaction on the basis of adequate criteris, nor that you have definitely proved that a globulin is responsible for insulin binding, nor that insulin is an antigen. The data you present are indeed suggestive but any more positive cleais seems unjustifiable at present.

——————————————J Clin Invest. 2004;114(8):1051-1054(http://www.jci.org/articles/view/23316/pdf

図1

◆ヒトインスリン分子量;5807;A鎖(21アミノ酸)、B鎖(30アミノ酸)が2個のジスルフィド結合を介して繋がったペプチド。C-ペプチド;インスリン生成の際、プロインスリンから切り放された部分(灰色)。図;インスリンのカタログ;http://www.funakoshi.co.jp/contents/3407

(補足)ヤローがノーベル賞を受賞した同年に、微量ペプチドホルモンの発見でノーベル賞を受賞したギルマンとシャリ―は、そのデッドヒートで著名な話題となりました。

・1940年に英国の生理学者ハリスによって、脳神経系「視床下部」から脳下垂体を結びつける化学伝達物質が存在する、即ち「脳下垂体から調節因子の放出」という仮説が提唱されてから、1969年にTRF(thyrotoropin releasing factor、又はTRH)が実際に視床下部から抽出され、構造決定されたことで、はじめて視床下部が下垂体前葉の分泌を調節しているという仮説が証明されたことになる。このTRFはピログルタミン酸・ヒスチジン・プロリンの3残基からなりC末端アミド化されたペプチド (Glp-His-Pro-NH2) であることがギルマンとシャリ―によってほぼ同時に報告された。元々同じ研究仲間であったシャリ―とギルマンは喧嘩別れし、驚いたことにギルマンはヒツジ250万頭、シャリ―はブタ10万頭の脳(脳下垂体)から、TRFを分離精製して構造決定をしたことで、この間、し烈な競争を生み、極めて泥臭い生化学の一面を象徴する研究であった。この時にRIAが使えたならばと?、その後、更にいろんなホルモンを次々と同定し、幸いにも両者ともに1977年ノーベル生理医学賞を受賞した。(参照;岩波文庫「ノーベル賞の決闘」1984年)。