新薬開発の四方山話 (9): 利他主義を医学的に解剖する

「利己主義」のことを英語で「egoism」と言います。が、この対語である「利他主義」の英語を知っているヒトは案外少ないのではないでしょうか?英語では「altruism」と言います。前者は「自分のみを愛する」で後者は「他人を慮る」こと。なお、この「利他主義」は「仏陀の教え」に起源をおくと考えられています。では、この「利他主義」は、一体どのようにして「心の中」に芽生えてくるのでしょうか?

「心」は「脳」に宿りますが、脳のどこに、どのような形で宿っているのでしょう?それは「意識」(conscious)して、それとも「無意識的」(unconscious)に宿っているの?「潜在的な心」(subliminal mind)なのか、それとも「顕在的な心」(overt mind)なのか?その「総和」としての「個性」(personality)って、どう決まるの?このように考えていくと、頭が変になって来そうですね。ここでは、取り敢えず、物質論的に考えます。「ある物質」が「心の形成」に多大な影響を及ぼすという一つの医学的な方法論です。

「利他主義」とは「他人を慮る」と定義しました。では、「他人を慮る心」の形成に一翼を担っている「体の中にある物質」とは?実は、これらを総称して「抱擁ホルモン」(cuddle hormones)と言われています。これが作られないと、ヒトの行動のうえで「他人が考えていることが理解できない」とか「自分独りよがりの行動しか取れない」など「社会性の欠如」(lack in social ties)が表出されてきます。たとえば、自閉症やアスペルガー症候群の精神疾患の患者さまなどがこれに該当します。

「抱擁ホルモン」の代表格にあるのが「オキシトシン」(oxytocin)というホルモンです。乳汁分泌促進作用や子宮収縮作用があり、従来は女性に特有なホルモンとして考えられてきましたが、男性にも普遍的にあることが分かりました。脳で作られているアミノ酸がたったの9個のペプチドホルモンです。

この「オキシトシン」には「抱擁ホルモン」としての生理作用もあり、「不安・恐怖心を抑制する作用」、「闘争心・遁走欲を減じる作用」などが知られています。さて今回ご紹介する論文は、ドイツ・ボン大学医学部付属病院で実施された臨床研究の成績です(J. Neurosci.、 35(47): 15696-15701 (2015) )。

病院に172人の健康男性を集め、それぞれの方に€10を与えました。お金は使わないで自分で持っておくも良し、好みに応じて献金して良いことにしました。その結果、唾液中のオキシトシンが高かったヒトは、「住民の持続的な生活向上に貢献する募金」(social sustainability projects)に多くのお金を使いましたが、「自然環境を改善するための募金」(environmental projects)には、お金をまったく使いませんでした。つまり、オキシトシンは「利他主義的な行動」には関与していることが示唆されました。

次の実験では、オキシトシンが含まれている鼻炎用スプレーと入っていないスプレーを使って鼻腔に噴霧してもらいました。その結果、オキシトシンを吸ったヒトは社会貢献度の高いプロジェクトにオキシトシンを吸わなかったヒト(€2.42)の2倍のお金(€4.42)を募金しました。

最後は、健康男性に「就業現場などで働くヒトに役立つ商品」のカタログと「地球環境に優しい商品」のカタログを見せたところ、オキシトシンを吸ったヒトは、前者の商品に2倍以上のお金を使ったそうです。これらの成績から、オキシトシンは「他人を慮る利他主義」に関与すると解釈できますね。

日本の特定大学付属病院(東大、金沢大、福井大、名古屋大)では2014年からオキシトシンを自閉症患者に適用する大規模臨床試験を実施する予定です。またオキシトシンのようなペプチドを新たに創薬しようという試みが大学・企業で精力的に行われています。TOBIRAの小出徹でした。じゃ~また。