新薬開発の四方山話(21):「病は気から」の「気」について

「病は気から」の英語表現は思いの他たくさんあります:”Sickness and health start with the mind. Worry is often the cause of illness. Fancy may kill or cure. Care killed a (the) cat.” 欧米人は概して自分のメンタル(self-mental status)に随分と「気」を配っているせいでしょうか?

今まで発行したコラムで随分とたくさんの話題(topics)を扱ってきましたので「助けてくれ~もう消化不良(indigestion)だ」という悲鳴が聞こえてきそうです。でも、そこは「もう少しの我慢、我慢」。「人生日々是勉学」ですから頑張りましょう。いつものTOBIRAの小出徹です。

日本には大天才と呼ばれたヒトの一人に「南方熊楠」(みなかたくまぐす、1867年生)がいます。彼は米国・英国の留学に留学し、生物学(とくに菌類学)、博物学そして民俗学などが専門の研究者でNatureに何報も受理されました。大学予備門(現・東大)では夏目漱石、正岡子規、本多光太郎が同窓生です。

この頃「Sigmund Freud」(ジークムントフロイト、1856年生)という大天才がオーストリアにもいました。精神科医であった彼は精神医学や臨床心理学の基礎を構築し、「無意識」の「精神分析学」である「無意識の哲学」を世界に先駆けて打ち立てました。一般的には「夢判断」として知られていますね。

コラム小出(21)-図1フロイトによると「気=心」(mind)は「意識」、「前意識」そして「無意識」に三分類されます。左図の氷塊全体が「心」を表しています。「意識」は「心の氷山の一角」に過ぎず、「前意識」は「記憶から取り出されたもの」、もっとも「心」にとって重要なのは「無意識」であるという学説を提案しました。私たちが取る「行動パターン」の本質的な根源は「無意識」にあり、「無意識を意識せずして精神分析学はない」とまで言い切りました。その後多くの哲学者に影響を及ぼしました。さらにフロイトは「イド」(id)、「自我」(ego)、そして「超自我」(super-ego)という「心の構造様式」を自らの仮説概念に持ち込みました。「イド」とは「本能」(instinct)を意味し、「エロス」(Eros)と「タナトス」(Thanatos)から成り立ちます。「自我」とは「実在」(reality)を意味し、赤子の頃の「イド」が発達したもので「意識的」でかつ「無意識的」な「心」に則して機能します。「自我」の最終目標は「イド」の欲求を安全で、かつ社会的に受け入れられる形で満足させることです。最後に「超自我」についてですが、「モラル」(morality)を意味し、幼児の段階に発達し、「モラルの原理」(the morality principle)として機能します。この三者が相互に「衝突」すると「人間の存在自体に対する葛藤」が生じます。この状態を「心の病」(mental illness)と呼びます。

「心の病」の例として最後に鬱病を取り上げます。最近は脳の画像法が急速な進展を遂げ、視覚的に脳の状態を定量的に捉えられるようになりました。また医薬品による治療だけではなく、コンピューターを駆使して患者さまに積極的にトレーニングを施し、寂しさや心配そしてやる気のなさを消滅する治療法も開発されています。この治療法によって、これらの情動を司る扁桃核(へんとうかく)での活性が落ち込み、大脳皮質と扁桃核との連絡網が促進され、鬱病の新しい治療法として期待されています。じゃ~。